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鳥肌が立ちました。「ゆっくり、ゆっくりと下りなければなりません」のアナウンスはその後に京都の第三コーナーを語る名セリフでした。大橋巨泉が他局の番組でも思わず口ずさんだものでした。この2年後の夏に北海道の明和牧場でハイセイコーを、谷川牧場でタケホープ(シンザンもいました)を訪ねました。今、振り返っても本当に懐かしい思い出です。
こういうフレーズやエピソードがあるとやはり実況の存在は偉大だと感じますね〜。生のハイセイコーやタケホープを見た方がいらっしゃるとは羨ましい…。
ハイセイコーとタケホープの名勝負が菊花賞でした当時関西テレビ競馬実況アナウンサー杉本清さんがハイセイコータケホープほとんど同時のアナウンス忘れません。杉本節の真骨頂です
杉本節炸裂のいいレース!
3センチ差の決着で差し切ったと感じていた武邦彦さんがすごい。
あの差でそれを感じ取る。まさに一流ジョッキーだからこその感覚なんでしょうね〜
翌日の新聞にゴール写真が、決勝写真みたいなアングルで載ってたのを覚えてますが、武邦さんが内のハイセイコーを凝視しながら追ってるんですよ。すごい感覚ですね。
小学生の頃さらばハイセイコーのレコード買って聞いてました。
やはり買われてる方いらっしゃった!今となっては凄いレア!
夢中で走ったら優勝していたダービーと違い、菊花賞では終始ハイセイコーをターゲットに刺客の如きレース運びできっちりハナ差で仕留めて二冠馬となり、その年(1973年)の年度代表馬となったタケホープ。5ヶ月前のダービーで馬券デビュー(2-5,2-7と買って5-7を買わず悔し涙)した高校生(!)が、TVの前で6番人気の単勝特券を握りしめながら長い写真判定の結果を待った思い出深い菊花賞です。タケホープは半年後の翌1974年の天皇賞・春でも、ゴール前あわや3着かという位置から有馬記念勝馬ストロングエイトと阪神大賞典勝馬クリオンワードを神がかり的な脚で差し切り、ダービー+菊花賞+春天を一年以内で制した最初の馬に。のちにマヤノトップガン・トウカイテイオー等の騎乗で天才騎手と呼ばれることになる田原成貴少年(当時中学生)が愛車(自転車)に「タケホープ号」と名付けたエピソードからも、いかに強烈な印象を残した馬だったかが窺い知れます。正に競馬史に残る稀代のステイヤーといえるでしょう。それにしてもこの動画の構成は素晴らしい。画質もクリアで嬉しい。暫しタイムスリップできました。
ハイセイコーが世間的には有名ですが、タケホープの実力はハイセイコーに負けず劣らずの素晴らしいサラブレッドだと思います。長距離でもきっちり伸びてくるあの末脚はすごいの一言です。 田原騎手が名前をつけたりするのも納得ですね! 見てくださる方が綺麗に見れるように、なるべく画質を落とさないように調整しています。
ハイセイコーとタケホープという永遠のライバルが3000m走ってハナ差。最高のレースです。
中距離でも長距離でも常にぶつかり続ける。まさにこれぞライバル対決って感じがしますね!
ほとんど同時今なら全く並んでゴールインって実況される局面かな
杉本節だからこその味がある感じがしますね〜。
亡き父が「3000メートル走って鼻差だもんな」と言っていましたがタケホーブが勝ったからこそ「ハイセイコーのライバル」と言われるのだと思う。
ダービー勝った時点ではまぐれ扱いされてましたしね〜。その証拠にこの菊花賞も少し人気下でしたし。ただ、その評価を覆し、引退するまでバチバチやってたのがライバルって感じしますね。
鳥居滋夫アナウンサーの最後の実況は、ナスノチグサのオークスです。大々ファンでしたので、覚えています。「後進者に道を譲りたい」と番組内で挨拶され、翌週のダービーから「総合司会」の役目をされていました。
失礼いたしました鳥居アナのその発言には後継への世代交代と期待が込められていそうな内容ですね〜
鳥居アナと入れ替わりで競馬班に加わったのが大川和彦アナでしたね。大林さん、盛山さん、大川さんの体制になりましたね。
自分は4、5才の頃に子供向けの漫画雑誌の表紙とかをハイセイコーが飾ってたのを覚えてる(ハイセイコーブームだった)競馬に疎い母は「ハイセイコー=歌になった馬」って認識だったなあちなみに母はオグリキャップを見て「変な色」とも言ってた鹿毛、栗毛、黒鹿毛くらいしか見たことが無かったそうだ😅
競馬知らない人でもハイセイコーの名前は知ってる。うちの母もそういうイメージ持ってました笑裏を返すとどれだけブームだったかがよくわかる
当時中学3年だったが第一コーナーで杉本アナがスローペースです!ハイセイコーのペースです!と言ったその瞬間から震えてが止まらなかった。ハナ差で負けたがハイセイコーのレースで一番思い出深いレースです。それにしても武邦彦騎手の騎乗フォーム豊騎手とそっくり!
実際タケホープ以外は差が開いてましたからね〜。3000mを逃げるハイセイコーと差し切るタケホープのレベルの高さを物語ってますね。確かに親子の柔らかいフォームの感じは似てますよね
今年ダノンデサイルが菊を勝てば、このタケホープの勝利以来51年ぶりダービー・菊花賞の二冠馬に。東京2400と京都3000は全く適性が違うらしい。
ダノンデサイル6着でアーバンシックの勝ちですか…。流石ルメール
これでタケホープが、ダービー菊花賞の二冠。以後ダービーと菊花賞の二冠馬は現れていない。三冠馬は8頭もいるのに。
今にして思えば、ハイセイコーは強いマイラー。タケホープは速いステイヤーって感じですね。
実際タケホープは距離伸びて強かったですからね〜。逆にハイセイコーは中距離まではかなり強いという印象。でも菊花賞は素晴らしいパフォーマンスをお互い見せた名レースでしたね!
ハイセイコーとタケホープの種牡馬でハイセイコーに軍配が上りましたハイセイコーはダービー馬カツラノハイセイコを出し後に天皇賞を勝つエリザベス女王杯サンドピアレスと皐月賞馬ハクタイセイを輩出したタケホープはクラシックを勝つ馬を輩出出来ませんでした
黒光りする雄大な馬体のハイセイコー、まさに野武士の形容がピッタリ!
確かに馬体は美しい馬でしたね。まさにサラブレッドといったところですかね〜
ハイセイコーの前には、メジロムサシという歴戦の強者が馬名の如く「野武士」と称されてた
鳥居さんの「同じフレーズを2度繰り返してレースの臨場感を盛り上げる」実況スタイルを、スピードシンボリの2度目の有馬記念で聴いたときは、小学生でしたが「トリハダ」でした。依頼、カセットテープレコーダーで録音することが日曜日の楽しみとなりました。
スピードシンボリの時からのファンとは驚きました!今尚続く競馬愛に感服しました。でもそれだけ競馬には魅力的なところがたくさんあるという証なんでしょうね
競馬歴史に残る名勝負菊花賞☆
ここまで接戦の菊花賞もそうそうないですねー。もっとこういうレースが見たい!
主戦嶋田騎手が落馬治療中で代打が京都を知り尽くす魔術師武邦彦、だったのがハナ差に繋がりましたね・・・嶋田さんならどうなったかはわかりませんがこの勝利最大の貢献者は武邦彦さんの神憑り騎乗でしょう。武ホープ、出来すぎた一期一会のレースでした。
クラシックの勝ちにあまり縁のなかった武邦彦にしてみればこの勝利は格別でしょうね!武豊TVか何かでもこのレースの話してますが、いい話でした。
@@春眠-v4s ロングエース(前年のダービー馬)の関東遠征の際に稲葉幸夫厩舎で世話をした関係で、武邦彦騎手はロングエースの調教とともに2歳時のタケホープの調教を手伝ったらしく「ハイセイコーよりタケホープのほうが強いってよう言うてたんですわ、僕乗るつもりがないから」(そこに菊花賞での騎乗依頼がきたので)「こりゃエライこと言っちゃったなーと」(図らずも自分でそれを証明しなければならない立場になったものの)「この馬は乗りやすい馬だから。全然引っかからない。自分の思うところに走った」とべた褒めしていましたね。ゴール板通過時も「勝った」と確信したと。杉本アナも著書で、タケホープが差し切ったと見たそうですが、この時関テレが2元中継で武田牧場(ハイセイコーの生産者)の皆さんの心配そうな顔を挟んだために思わず断言を控えて「殆ど同時!」と言ってしまったそうです。
そういう経緯があったんですね!武邦彦も負けられなかったでしょうね!杉本さんの配慮も素晴らしく感じます!
競馬実況は杉本清さんがNo.1
丁寧かつサラッと名言が飛び出る。しかもほとんどが用意していないセリフという凄さ。ブルボンの菊花賞の時にはセリフを用意していたのにそういう時に限ってうまくいかない。ある意味でアドリブと競馬の神様に愛されてそう笑
タケホープも顕彰馬として表彰されてほしかったですね彼がいたからハイセイコーも更に際立ったんだと思います同じ事はグリーングラスにも言えます
ハイセイコーはブームとかの貢献度でしょうね〜。タケホープも凄かったが多分顕彰馬になるには地味すぎたのか…?
@@味噌汁のきらめき強いライバルがいてこそヒーローは輝き競馬が盛り上がると思います世代は違うけどミホノブルボンやメジロマックイーンの記録を阻んだライスシャワーは敵役とかヒールみたいな言われようでしたが亡くなったあとは慰霊碑まで造られ花や人参を供える人が絶えないですしね
ハイセイコーの皐月賞でも、「内いっぱいをついてイチフジイサミ! 内いっぱいをついてイチフジイサミであります!」と繰り返しており、おかげで「イチフジイサミの追っかけ」になっちゃったほどです。私の誕生日とイチフジイサミの誕生日、同じなんですよ。
2度繰り返すことでそのインパクトがより際立つ素晴らしい実況でしよね。今のアナウンサーにも受け継がれているところを見るとやはり偉大な方です。イチフジイサミは世代のせいか懐かしいなというイメージがありますね
イチフジイサミはこの菊花賞3着の後、謎のスランプに陥り翌74年の春天出走も見合わせになるものの秋に復活、秋天(当時は3,200m・勝ち抜け)では直線不利を受けながらもカミノテシオに半馬身まで迫る2着、そして75年の春天では、前走(マイラーズカップ)でタニノチカラをねじ伏せた前年の年度代表馬キタノカチドキを直線で競り落として遂に優勝!無冠の同級生に春が訪れた様な、とても嬉しい気分に浸った忘れ難い名ステイヤー。
最後の差しきりが凄すぎて鳥肌モノだわ。
3000m走って最後がこれという素晴らしい名勝負
ホージェスト(8番)に騎乗の池江泰郞はのちにディープインパクトの調教師として菊花賞で優勝(史上2頭目の無敗の三冠達成)した訳。ちなみに、この時の優勝馬のタケホープの騎手の武邦彦はディープインパクトの主戦騎手の武豊のお父さんですよ。つまり、親子で菊花賞ジョッキーになった訳。
それ考えるとすごい偉業
ハイセイコーには可哀想だけど、競馬はブラッドスポーツ。この距離なら何回戦ってもタケホープに勝ってもらわないと困る。
特に逃げ不利な展開なだけにタケホープ有利であったのは間違いないそれでもいい勝負になったのだからハイセイコーも凄いということでしょうね
@@春眠-v4s おっしゃる通り。並みの馬なら惨敗ですがハイセイコーだからあそこまで粘れたと思います。
しかし種牡馬となってからは立場が逆転してしまいましたね。ダービー馬カツラノハイセイコ等を輩出し、ダートの活躍馬も多数輩出したハイセイコーに対し、ステイヤーの血が嫌われてオープン特別勝ち馬を数頭出したのみだったタケホープ。種牡馬としてはハイセイコーに軍配が上がる形でした。
ダービーと菊花賞の二冠馬(牡馬)が未だにタケホープのみという現実。
言われてみればダービーと菊花の二冠馬っていないですね〜。それを考えたらこの年の年度代表馬なのも納得しますね
皐月 菊花賞ならセイウンスカイやミホシンザン ゴールドシップなどそこそこいるのにな
牝馬も入れるとクリフジですね。やっぱこの馬おかしい。
たしかにな不思議だな、三冠全部挑んだけど、皐月だと距離足りなくて負けたとかあってもおかしくないような気がするけど
菊花賞は毎年1~2コーナーの所でペースががっくり落ちるのがパターンなのだがこの年は特にペースダウンが著しく2コーナー辺りでハロン14秒7もかかっている。中距離型のハイセイコーはこのスローペースのおかげで息が入った。上がり3ハロンは36秒6、ラストは11秒6―11秒9で火の玉の逃げ込みを図るがタケホープの差し脚がわずかに上回ったわけだ。ちなみに同じ早目先頭のミスターシービーの時は上がり3ハロンが38秒3もかかって後ろから何も来ないのだからまあ問題外である。
長距離だからこそ他の距離のレースと展開が変わっていくだけにそこでの駆け引きはありそうですね。長距離レースはまた不思議な魅力がありますね
菊花賞でハナ差の2着の馬が長距離×扱いされるのも違和感ある
それは同意。でも逃げ馬だからの弊害かも…。ウイポでもジャングルポケットやネオユニヴァースたちも3000走れないこと多いですし
@@春眠-v4s ゲーム的な差別化の限界ですかねえ
ハイセイコーですら成功しなかった早逃げ。それを達成したのがミスターシービー、そしてゴールドシップ。
追込からまくっていって勝ったあの2頭は異質ですね。ハイセイコーの場合は前での競馬をするタイプだからよりスタミナとかを考えても難易度は上がりますね
福永の二ホンピロムーテ―!
そしてアスクビクターモア
その前のタイトルホルダーといい素晴らしいスタミナと根性でしたね
ダービーの敗戦で距離持たないっていわれたハイセイコーだが、そんなことないよね。外がわずかに出ていたのが分かって子ども心にガッカリしたのを覚えている。ダービーや天皇賞を勝ったカツラノハイセイコは親父より長距離寄りであまり大きな馬でもなかった
前競馬でタケホープとあの差ですから距離は持つんだなと思いますね
普通に大井でダート走ってた馬がクラシックの中央でダービー馬相手にこのレース今じゃあり得ない
確かに今はほとんどと言っていいほどいないですね…。そういうエピソードも一つのロマンなんですが中々難しいのでしょう
ここでハイセイコーが勝っていたらブームが終わっていたかも知れない。
ブームが終わったかと聞かれれば難しいですが、あれほどライバル対決として盛り上がりは少なくともしなかったかもしれないですね〜。やはりライバル達だいてこそ物語は素晴らしくなりますね!
ハイセイコーのダービー惨敗を血統による距離不安と言うなら、3,000mハナ差二着はありえんだろ?ミホノブルボンもそう。
距離というよりは展開的なところと勝ち馬の意地だと思いますね。ライスシャワーやタケホープはそんな感じがします。
この年の皐月賞が鳥居アナの最後の実況だったのかな?日本ダービーからは盛山アナが担当してますね。
鳥居アナは73年が最後みたいですねしかし個人的には実況の方の移り変わりは寂しさと次世代のアナへの期待が交差するんですよね
盛山さんになってから、録音は「杉本節」が中心になりました。杉本さんのゴール前の「末脚のキレ」は、素晴らしかった。「無冠の貴公子に春が訪れます!タイテエム一着!」「それいけ!テンポイント、ムチなどいらぬ!」最高でした。やがて、それが馬場さんに受け継がれて、「世界のホースマンよ見てくれ!これが日本近代競馬の結晶だ!ディープインパクト!」となりました。次世代に、「聴けるアナウンサー」が出てきてくれることを祈ります。
本当に惜しかったね。ハナ差だけどハイセイコーに勝ってほしくて写真判定の間,祈るような気持だったのを思い出す。当時,怪物と言えば江川,尾崎,ハイセイコーだった。インフレが激しく異常な世相だった1973年,給料も倍増した。
このレースを生で見ていたのかと考えると羨ましいです!やはり怪物といえばで江川や尾崎が出てくるのですね〜笑
江川が甲子園を席捲したのはこの年だけど、尾崎はズレマクリ、尾崎が怪物と言われたのは1967年。
そうなんだよなあータケホープといえば嶋田功さんの筈だが、この菊花賞だけはタケクニさんが乗ってだんだよな。(確か嶋田さんが落馬負傷のため急遽乗り替わりだったとか)
幸か不幸かハイセイコーをうまく差し切っちゃいましたね〜。武邦彦が騎乗したのはこれのみですが、きちんと結果を残すあたりは流石ですね
鳥肌が立ちました。「ゆっくり、ゆっくりと下りなければなりません」のアナウンスはその後に京都の第三コーナーを語る名セリフでした。大橋巨泉が他局の番組でも思わず口ずさんだものでした。この2年後の夏に北海道の明和牧場でハイセイコーを、谷川牧場でタケホープ(シンザンもいました)を訪ねました。今、振り返っても本当に懐かしい思い出です。
こういうフレーズやエピソードがあるとやはり実況の存在は偉大だと感じますね〜。
生のハイセイコーやタケホープを見た方がいらっしゃるとは羨ましい…。
ハイセイコーとタケホープの名勝負が菊花賞でした当時関西テレビ競馬実況アナウンサー杉本清さんがハイセイコータケホープほとんど同時のアナウンス忘れません。杉本節の真骨頂です
杉本節炸裂のいいレース!
3センチ差の決着で差し切ったと感じていた武邦彦さんがすごい。
あの差でそれを感じ取る。まさに一流ジョッキーだからこその感覚なんでしょうね〜
翌日の新聞にゴール写真が、決勝写真みたいなアングルで載ってたのを覚えてますが、武邦さんが内のハイセイコーを凝視しながら追ってるんですよ。すごい感覚ですね。
小学生の頃さらばハイセイコーのレコード買って聞いてました。
やはり買われてる方いらっしゃった!今となっては凄いレア!
夢中で走ったら優勝していたダービーと違い、菊花賞では終始ハイセイコーをターゲットに刺客の如きレース運びできっちりハナ差で仕留めて二冠馬となり、その年(1973年)の年度代表馬となったタケホープ。
5ヶ月前のダービーで馬券デビュー(2-5,2-7と買って5-7を買わず悔し涙)した高校生(!)が、TVの前で6番人気の単勝特券を握りしめながら長い写真判定の結果を待った思い出深い菊花賞です。
タケホープは半年後の翌1974年の天皇賞・春でも、ゴール前あわや3着かという位置から有馬記念勝馬ストロングエイトと阪神大賞典勝馬クリオンワードを神がかり的な脚で差し切り、ダービー+菊花賞+春天を一年以内で制した最初の馬に。
のちにマヤノトップガン・トウカイテイオー等の騎乗で天才騎手と呼ばれることになる田原成貴少年(当時中学生)が愛車(自転車)に「タケホープ号」と名付けたエピソードからも、いかに強烈な印象を残した馬だったかが窺い知れます。
正に競馬史に残る稀代のステイヤーといえるでしょう。
それにしてもこの動画の構成は素晴らしい。画質もクリアで嬉しい。暫しタイムスリップできました。
ハイセイコーが世間的には有名ですが、タケホープの実力はハイセイコーに負けず劣らずの素晴らしいサラブレッドだと思います。長距離でもきっちり伸びてくるあの末脚はすごいの一言です。
田原騎手が名前をつけたりするのも納得ですね!
見てくださる方が綺麗に見れるように、なるべく画質を落とさないように調整しています。
ハイセイコーとタケホープという永遠のライバルが3000m走ってハナ差。
最高のレースです。
中距離でも長距離でも常にぶつかり続ける。まさにこれぞライバル対決って感じがしますね!
ほとんど同時
今なら全く並んでゴールインって実況される局面かな
杉本節だからこその味がある感じがしますね〜。
亡き父が「3000メートル走って鼻差だもんな」と言っていましたが
タケホーブが勝ったからこそ
「ハイセイコーのライバル」と言われるのだと思う。
ダービー勝った時点ではまぐれ扱いされてましたしね〜。その証拠にこの菊花賞も少し人気下でしたし。ただ、その評価を覆し、引退するまでバチバチやってたのがライバルって感じしますね。
鳥居滋夫アナウンサーの最後の実況は、ナスノチグサのオークスです。
大々ファンでしたので、覚えています。
「後進者に道を譲りたい」と番組内で挨拶され、翌週のダービーから「総合司会」の役目をされていました。
失礼いたしました
鳥居アナのその発言には後継への世代交代と期待が込められていそうな内容ですね〜
鳥居アナと入れ替わりで競馬班に加わったのが大川和彦アナでしたね。
大林さん、盛山さん、大川さんの体制になりましたね。
自分は4、5才の頃に子供向けの漫画雑誌の表紙とかをハイセイコーが飾ってたのを覚えてる(ハイセイコーブームだった)
競馬に疎い母は「ハイセイコー=歌になった馬」って認識だったなあ
ちなみに母はオグリキャップを見て「変な色」とも言ってた
鹿毛、栗毛、黒鹿毛くらいしか見たことが無かったそうだ😅
競馬知らない人でもハイセイコーの名前は知ってる。うちの母もそういうイメージ持ってました笑
裏を返すとどれだけブームだったかがよくわかる
当時中学3年だったが第一コーナーで杉本アナがスローペースです!ハイセイコーのペースです!と言ったその瞬間から震えてが止まらなかった。ハナ差で負けたがハイセイコーのレースで一番思い出深いレースです。それにしても武邦彦騎手の騎乗フォーム豊騎手とそっくり!
実際タケホープ以外は差が開いてましたからね〜。3000mを逃げるハイセイコーと差し切るタケホープのレベルの高さを物語ってますね。確かに親子の柔らかいフォームの感じは似てますよね
今年ダノンデサイルが菊を勝てば、このタケホープの勝利以来51年ぶりダービー・菊花賞の二冠馬に。東京2400と京都3000は全く適性が違うらしい。
ダノンデサイル6着でアーバンシックの勝ちですか…。流石ルメール
これでタケホープが、ダービー菊花賞の二冠。以後ダービーと菊花賞の二冠馬は現れていない。三冠馬は8頭もいるのに。
今にして思えば、ハイセイコーは強いマイラー。タケホープは速いステイヤーって感じですね。
実際タケホープは距離伸びて強かったですからね〜。逆にハイセイコーは中距離まではかなり強いという印象。でも菊花賞は素晴らしいパフォーマンスをお互い見せた名レースでしたね!
ハイセイコーとタケホープの種牡馬でハイセイコーに軍配が上りましたハイセイコーはダービー馬カツラノハイセイコを出し後に天皇賞を勝つエリザベス女王杯サンドピアレスと皐月賞馬ハクタイセイを輩出したタケホープはクラシックを勝つ馬を輩出出来ませんでした
黒光りする雄大な馬体のハイセイコー、まさに野武士の形容がピッタリ!
確かに馬体は美しい馬でしたね。まさにサラブレッドといったところですかね〜
ハイセイコーの前には、メジロムサシという歴戦の強者が馬名の如く「野武士」と称されてた
鳥居さんの「同じフレーズを2度繰り返してレースの臨場感を盛り上げる」実況スタイルを、スピードシンボリの2度目の有馬記念で聴いたときは、小学生でしたが「トリハダ」でした。
依頼、カセットテープレコーダーで録音することが日曜日の楽しみとなりました。
スピードシンボリの時からのファンとは驚きました!
今尚続く競馬愛に感服しました。でもそれだけ競馬には魅力的なところがたくさんあるという証なんでしょうね
競馬歴史に残る名勝負菊花賞☆
ここまで接戦の菊花賞もそうそうないですねー。もっとこういうレースが見たい!
主戦嶋田騎手が落馬治療中で代打が京都を知り尽くす魔術師武邦彦、だったのがハナ差に繋がりましたね・・・嶋田さんならどうなったかはわかりませんがこの勝利最大の貢献者は武邦彦さんの神憑り騎乗でしょう。武ホープ、出来すぎた一期一会のレースでした。
クラシックの勝ちにあまり縁のなかった武邦彦にしてみればこの勝利は格別でしょうね!武豊TVか何かでもこのレースの話してますが、いい話でした。
@@春眠-v4s ロングエース(前年のダービー馬)の関東遠征の際に稲葉幸夫厩舎で世話をした関係で、武邦彦騎手はロングエースの調教とともに2歳時のタケホープの調教を手伝ったらしく「ハイセイコーよりタケホープのほうが強いってよう言うてたんですわ、僕乗るつもりがないから」(そこに菊花賞での騎乗依頼がきたので)「こりゃエライこと言っちゃったなーと」(図らずも自分でそれを証明しなければならない立場になったものの)「この馬は乗りやすい馬だから。全然引っかからない。自分の思うところに走った」とべた褒めしていましたね。ゴール板通過時も「勝った」と確信したと。杉本アナも著書で、タケホープが差し切ったと見たそうですが、この時関テレが2元中継で武田牧場(ハイセイコーの生産者)の皆さんの心配そうな顔を挟んだために思わず断言を控えて「殆ど同時!」と言ってしまったそうです。
そういう経緯があったんですね!武邦彦も負けられなかったでしょうね!杉本さんの配慮も素晴らしく感じます!
競馬実況は杉本清さんがNo.1
丁寧かつサラッと名言が飛び出る。しかもほとんどが用意していないセリフという凄さ。ブルボンの菊花賞の時にはセリフを用意していたのにそういう時に限ってうまくいかない。ある意味でアドリブと競馬の神様に愛されてそう笑
タケホープも顕彰馬として表彰されてほしかったですね
彼がいたからハイセイコーも更に際立ったんだと思います
同じ事はグリーングラスにも言えます
ハイセイコーはブームとかの貢献度でしょうね〜。タケホープも凄かったが多分顕彰馬になるには地味すぎたのか…?
@@味噌汁のきらめき
強いライバルがいてこそヒーローは輝き競馬が盛り上がると思います
世代は違うけどミホノブルボンやメジロマックイーンの記録を阻んだライスシャワーは敵役とかヒールみたいな言われようでしたが
亡くなったあとは慰霊碑まで造られ花や人参を供える人が絶えないですしね
ハイセイコーの皐月賞でも、「内いっぱいをついてイチフジイサミ! 内いっぱいをついてイチフジイサミであります!」と繰り返しており、おかげで「イチフジイサミの追っかけ」になっちゃったほどです。私の誕生日とイチフジイサミの誕生日、同じなんですよ。
2度繰り返すことでそのインパクトがより際立つ素晴らしい実況でしよね。今のアナウンサーにも受け継がれているところを見るとやはり偉大な方です。
イチフジイサミは世代のせいか懐かしいなというイメージがありますね
イチフジイサミはこの菊花賞3着の後、謎のスランプに陥り翌74年の春天出走も見合わせになるものの秋に復活、秋天(当時は3,200m・勝ち抜け)では直線不利を受けながらもカミノテシオに半馬身まで迫る2着、そして75年の春天では、前走(マイラーズカップ)でタニノチカラをねじ伏せた前年の年度代表馬キタノカチドキを直線で競り落として遂に優勝!無冠の同級生に春が訪れた様な、とても嬉しい気分に浸った忘れ難い名ステイヤー。
最後の差しきりが凄すぎて鳥肌モノだわ。
3000m走って最後がこれという素晴らしい名勝負
ホージェスト(8番)に騎乗の池江泰郞はのちにディープインパクトの調教師として菊花賞で優勝(史上2頭目の無敗の三冠達成)した訳。ちなみに、この時の優勝馬のタケホープの騎手の武邦彦はディープインパクトの主戦騎手の武豊のお父さんですよ。つまり、親子で菊花賞ジョッキーになった訳。
それ考えるとすごい偉業
ハイセイコーには可哀想だけど、競馬はブラッドスポーツ。この距離なら何回戦ってもタケホープに勝ってもらわないと困る。
特に逃げ不利な展開なだけにタケホープ有利であったのは間違いない
それでもいい勝負になったのだからハイセイコーも凄いということでしょうね
@@春眠-v4s
おっしゃる通り。並みの馬なら惨敗ですがハイセイコーだからあそこまで粘れたと思います。
しかし種牡馬となってからは立場が逆転してしまいましたね。
ダービー馬カツラノハイセイコ等を輩出し、ダートの活躍馬も多数輩出したハイセイコーに対し、ステイヤーの血が嫌われてオープン特別勝ち馬を数頭出したのみだったタケホープ。種牡馬としてはハイセイコーに軍配が上がる形でした。
ダービーと菊花賞の二冠馬(牡馬)が未だにタケホープのみという現実。
言われてみればダービーと菊花の二冠馬っていないですね〜。それを考えたらこの年の年度代表馬なのも納得しますね
皐月 菊花賞ならセイウンスカイやミホシンザン ゴールドシップなどそこそこいるのにな
牝馬も入れるとクリフジですね。やっぱこの馬おかしい。
たしかにな
不思議だな、三冠全部挑んだけど、皐月だと距離足りなくて負けたとかあってもおかしくないような気がするけど
菊花賞は毎年1~2コーナーの所でペースががっくり落ちるのがパターンなのだがこの年は特にペースダウンが著しく2コーナー辺りでハロン14秒7もかかっている。中距離型のハイセイコーはこのスローペースのおかげで息が入った。上がり3ハロンは36秒6、ラストは11秒6―11秒9で火の玉の逃げ込みを図るがタケホープの差し脚がわずかに上回ったわけだ。
ちなみに同じ早目先頭のミスターシービーの時は上がり3ハロンが38秒3もかかって後ろから何も来ないのだからまあ問題外である。
長距離だからこそ他の距離のレースと展開が変わっていくだけにそこでの駆け引きはありそうですね。
長距離レースはまた不思議な魅力がありますね
菊花賞でハナ差の2着の馬が長距離×扱いされるのも違和感ある
それは同意。でも逃げ馬だからの弊害かも…。ウイポでもジャングルポケットやネオユニヴァースたちも3000走れないこと多いですし
@@春眠-v4s ゲーム的な差別化の限界ですかねえ
ハイセイコーですら成功しなかった早逃げ。
それを達成したのがミスターシービー、そしてゴールドシップ。
追込からまくっていって勝ったあの2頭は異質ですね。ハイセイコーの場合は前での競馬をするタイプだからよりスタミナとかを考えても難易度は上がりますね
福永の二ホンピロムーテ―!
そしてアスクビクターモア
その前のタイトルホルダーといい素晴らしいスタミナと根性でしたね
ダービーの敗戦で距離持たないっていわれたハイセイコーだが、そんなことないよね。外がわずかに出ていたのが分かって子ども心にガッカリしたのを覚えている。
ダービーや天皇賞を勝ったカツラノハイセイコは親父より長距離寄りであまり大きな馬でもなかった
前競馬でタケホープとあの差ですから距離は持つんだなと思いますね
普通に大井でダート走ってた馬がクラシックの中央でダービー馬相手にこのレース今じゃあり得ない
確かに今はほとんどと言っていいほどいないですね…。そういうエピソードも一つのロマンなんですが中々難しいのでしょう
ここでハイセイコーが勝っていたら
ブームが終わっていたかも知れない。
ブームが終わったかと聞かれれば難しいですが、あれほどライバル対決として盛り上がりは少なくともしなかったかもしれないですね〜。やはりライバル達だいてこそ物語は素晴らしくなりますね!
ハイセイコーのダービー惨敗を血統による距離不安と言うなら、3,000mハナ差二着はありえんだろ?ミホノブルボンもそう。
距離というよりは展開的なところと勝ち馬の意地だと思いますね。ライスシャワーやタケホープはそんな感じがします。
この年の皐月賞が鳥居アナの最後の実況だったのかな?日本ダービーからは盛山アナが担当してますね。
鳥居アナは73年が最後みたいですね
しかし個人的には実況の方の移り変わりは寂しさと次世代のアナへの期待が交差するんですよね
盛山さんになってから、録音は「杉本節」が中心になりました。
杉本さんのゴール前の「末脚のキレ」は、素晴らしかった。
「無冠の貴公子に春が訪れます!タイテエム一着!」
「それいけ!テンポイント、ムチなどいらぬ!」
最高でした。
やがて、それが馬場さんに受け継がれて、「世界のホースマンよ見てくれ!これが日本近代競馬の結晶だ!ディープインパクト!」となりました。
次世代に、「聴けるアナウンサー」が出てきてくれることを祈ります。
本当に惜しかったね。ハナ差だけどハイセイコーに勝ってほしくて写真判定の間,祈るような気持だったのを思い出す。当時,怪物と言えば江川,尾崎,ハイセイコーだった。インフレが激しく異常な世相だった1973年,給料も倍増した。
このレースを生で見ていたのかと考えると羨ましいです!
やはり怪物といえばで江川や尾崎が出てくるのですね〜笑
江川が甲子園を席捲したのはこの年だけど、尾崎はズレマクリ、尾崎が怪物と言われたのは1967年。
そうなんだよなあー
タケホープといえば嶋田功さんの筈だが、
この菊花賞だけはタケクニさんが乗ってだんだよな。
(確か嶋田さんが落馬負傷のため
急遽乗り替わりだったとか)
幸か不幸かハイセイコーをうまく差し切っちゃいましたね〜。
武邦彦が騎乗したのはこれのみですが、きちんと結果を残すあたりは流石ですね